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黒岩天満宮

仁和2年(西暦886年)菅原道真公は讃岐守に任ぜられ当地へ赴任されました。ある年日照りが続き 池も涸れ村人が難儀していた折、道真公が城山に登り社にて雨乞いをされました。たちまち豊かな 雨に恵まれ村人は狂喜乱舞して菅公をこの地に迎えました。菅公の威徳をたたえ後にこの地に社を 建て黒岩天満宮としました。

梅宮神社

文安6年3月、願主藤原但馬守資重社殿造営の記録があるが、それ以前の古記録はありません。

神功皇后征 韓の折、備前牛窓の海中で牛鬼を討ち、追って王越村木沢に御上陸、王越山を越えて宮山に登られました。 王越の名はこれより起こったそうです。

宮山で天神地祗を祭られ平戎と御安泰を祈らせられました。後宮山山上白雲の中に八幡大神御示現あって祠を建て、白雲梅宮八幡宮と称しました。

相模坊社

白峯で崇徳上皇を守り続けるという日本八大天狗のひとつ相模坊天狗を祭っています。2月の第2土 日曜日に開催される「坂出天狗まつりが」有名です。相模坊天狗(通称「さがん坊」)については およそ讃岐の地方史には例外なくとりあげられており、そのほか、室町初期に世阿弥によって書か れたと伝えられる謡曲「松山天狗」や、明和5年(1768)に上田秋声によって書かれた「雨月物語」 の「白峯」のくだりなど、数多くの史書や文献に登場してきます。

岩屋寺

五夜嶽・岩屋寺

坂出市高屋町に在所する遍照院は、その昔815年、人皇第六十二代嵯峨天皇の勅願により下賜され、 弘法大師開基の寺院にして、大師42才の厄除け供養を遍照院において留錫極勤の折、しばしば後夜嶽 中腹の当岩屋山に足を運ばれ、自ら崖を穿ち、窟となし、五夜念誦の作法を修した道場と伝えられ、別 に遍照院の奥の院とも称せられる。当時遍照院は高屋南部に数多くの末寺を建立し、弘法大師開山の紀 伊ノ国高野山と並び称せられ、讃岐ノ国高野山としてその名声高く、現在高屋と称するは、当時の高野 山になぞらえたりし遺名と思われる。

福の宮神社

この福の宮神社は「嘉吉の乱」で滅んだ赤松満裕の子孫がこの地に逃れてきて赤松累代の軍神伊邪那岐 命、伊邪那美命を斎ったのがはじめであるとされている。後花園天皇の御代嘉吉元年6月に将軍足利義教 を室町にて討った赤松満祐の軍神を斎祀したものである。義教の子、義勝によって白旗に討たれた満祐 はその子彦五郎教康、佐馬之助教祐によって府中に祀られ、福宮大明神というものである。