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八十場の湧水

金山の麓から湧き出る冷たい冷泉は、野沢井ともいわれ、どんな日照りにも枯れないと言 われる霊泉。その昔讃留霊(さるれ)王が瀬戸内海を荒らす悪魚を退治しましたが、悪魚の毒に 倒れた兵士が、この水で88人蘇ったことから「八十八の水」と呼ばれるようになったという伝説 が残されています。また、崇徳上皇にまつわる伝説では、崩御後、ご遺体の処置についての都の 指揮を待つ間、上皇のご遺体は、弥蘇場の霊泉にひたしておいたといわれています。

雲井御所

崇徳上皇が讃岐の地に配流された当時,まだ上皇の御所ができておらず,国府に勤める当地の庁官であった綾高遠(あやたかとう)の館を仮の御所に使用したと云われています。
上皇は,京の都とは違って草深い田舎での生活ゆえに淋しく,都を恋しく思い,『ここもまた あらぬ雲井となりにけり 空行く月の影にまかせて』と詠みました。この歌から,この仮の御所を雲井御所と呼ぶようになったと云われています。

明神原遺跡

城山の南東部,平野につき出た通称「たこの頭」という場所には、鳥帽子岩と呼ばれるものをはじめ、巨石が点在しています。国司 菅原道真が城山の神に祭文をよみあげ、 雨請いをした場所と伝えられています。

886(仁和2)年、都から讃岐国に赴任した道真は、888(仁和4)年の大旱魃にあたり、ここ明神原で城山の神に雨請いを行いました。その結果見事に雨が降り、民衆は大いに喜んだといいます。 民衆の感謝の意にかえた踊りが、後に念仏踊りの形となって後世に伝えられています。明神原は、城山神社が最初にあった場所ともいわれ、神が降り立つ場所として、古来より神聖視されていた場所とされています。